デザイナーとは何か

◆ 芸術家とデザイナーの違い ◆

興味深いブログ記事を見ました。
多彩な顔を持つデザイナーのブルーノ・ムナーリ氏は次のように言っていたそうです。
「デザイナーは、広く消費される製品を、最良の方法でつくろうと努めている者である。他方、芸術家がデザイナーの仕事をしようとすると、かならず主観的な方法で行い、自身の芸術性を誇示しようとする。そして、製品に自分の信念が息づき、他の人にも伝わることを望む。これは画家であろうと、彫刻家であろうと、建築家であろうと変わらない。
芸術家の目的は自分の信念を伝えることにある。一方、デザイナーの目的は、それにより生み出されたプロダクトが広く消費されることだ。従って芸術家は究極的には自分や、自分と認めてくれるエリートのために仕事をするし、デザイナーはすべての共同体のために仕事をする。」

このことを平たく言えば、「芸術家の夢は美術館にたどり着くことであるが、デザイナーの夢は市内のスーパーにたどり着くことである」と説明しています。

◆ 芸術の源泉は「個」にあり、デザインの発端は「社会」にある ◆

芸術は、個人による社会に対する個人的な意思の表現でもある。よって作品をつくる源泉は個人的なものであり、芸術家本人にしかわからない。芸術家が弧高のイメージをもたれるのはおそらくそのためだろうと。

一方、デザインは、その発端を個人ではなく社会にもつ。他者と共有できる問題を発見し、それを解決していくことが「デザイン」である。だからデザイナーは、より市民感覚に近いイメージをもたれる。デザインは、その発端が社会にあるため、デザインの理由やプロセスを他者も理解・共感することができる。

では、デザイナーという人間の源泉には何があるのだろうか。個人的な意志がなく、社会の問題発見からデザインが始まるのであれば、人としての大本には何があるのか。デザイナーの根本には「なにもない」があると考えられるのではないだろうかと。

原 研哉さんが著書のなかで、「むしろ耳を澄まし目を凝らして、生活の中から新しい問いを発見していく営みがデザインである」と語るように、デザインとは私たちが日々生きていくなかで通過する見落としがちな物事の雑音に耳を澄ませること。まずは日常生活の中に課題をみつけるところからデザインは始まる。

だから、デザインを生業とする人の底にはなにもない。芸術家がもっている「こんなものをつくりたい」「こうしたらかっこいい」「ああしたら美しい」という自我は存在しない。デザイナーが重視する自分とは環境のなかでそれを感受する受け皿としての「個」なのだと。

その意味でデザイナーは感受性に優れ、柔軟な思考回路を持っている人と言えます。演出をする監督の意向を汲みとり指示通りに演じる役者のような職業であり、空虚だがそこには豊満な人としての多様なあり方を私は感じました。

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